2010-06-14 大いなる意味は おもうところ #メンタルヘルス 最近「自分の人生は自由」という声や、 「何もしたくない」という声の、 両極を耳にする。 しかしそうした考えには共通して、 個人中心となる考えを感じる。 仮に自分で買った腕時計を、 「自分で買ったので、 捨てるのも自由」としても、 違和感があるぐらいなので、 「自分の人生は自由」と聞くと、 更に違和感を感じる。 それは社会人という意味だけでなく、 「自分」はモノと違い、 「自分」で選んで手にしたものでもなく、 「自分」という認識は生まれた後に、 数年たって初めて、 存在を認識する後天的なものであるから、 先に「自分」を認識する前に、 過去の流れから生まれた事実がある。 ゆえに「自分」は、 世から授かった存在で、 その命は、仮に殺人をしようとも、 日々意味を残し続け、 どう生きるかに関係なく、 過去の流れから、意味を問われている。 ゆえに、答える答えないに関わらず、 確実に意味を残す存在だ。 そして、より大いなる意味は、 常に見つけて貰うのを待つかのように、 あらゆる場所に存在し、 そして私欲ではなく、 人に与える幸せでしか、 より充実した意味を、 見いだせないのだろうと思う。