65.「理解する」

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先週金曜日の夕方から、急遽オフィス移転先候補として、別物件を探すこと
となった。

移転予定日まで残り22日。こうなってくると時間がない。状況としては贅
沢をいっている場合でもないので、外観や共用部が小綺麗でありさえすれば
社のホームページでも紹介が出来る。どこぞで空いているのではないかとも
思ってはいるが、ボチボチもしていられない。

現状回復の独占的高額請求問題も解決しておらず、こちらは火曜日に先方の
上司を呼んで折衝予定となる。

色々と解決しなければならないことは多いが「『何でも自分ひとりで解決し
なければならない』とばかり考えるものではない」と、最近分かってきた。

今までは、何でもひとりで解決しようと考えてきた。心がけとしては良いの
だろうが、その動機が問題だ。

自分では無意識だが、人を信用できないようであり、加えて自分に「認めら
れなければならない」という考えが中心にあったように思う。

これは裏を返せば「今の自分では認めらず、価値のない人間である」という
自己蔑視」も混在している可能性があり、そうした考えは、自分の心に無
意識に「憎しみ」を生む。それに「認められたい」ということは、「人を見
下すぞ」という考えにも繋がる。

しかし神様ではないのだし、色んな感じ方があって当然だ。ゆえにそうした
ことも、自分の心の中で包み隠さずに認めていくこと、それによって自分が
理解できるのだろう。

そうして自分を理解していけば、相手の思いも理解しやすくなり、様々な心
の葛藤も無くなるように思う。

そうなれば「きっと生き方が楽になるのではないか?」と、最近つくづく思
う。