94.「原因を探る」

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最近つくづく自分に感じるのが、ヒトに何かを言われてノタウチまわる自分
自身の受け取り様の原因を探る必要がある点だ。変える、変えないは後で考
えるとしても、まず原因を把握する必要がある。

スタッフらは私が彼らをマネても笑っているが、私はマネられると心地よく
ない場合がある。恐らく私の笑いの倫理観と違ってマネられるのは許せない
のだろう。

そうしたことから原因は相手ではなく自分にあると断定。受け取り様が皆と
違う。違って当然だが、自分が苦しくて相手を無理に変える行為は自分の受
け取り様なのだし根本解決ではない。

その原因に気付かない限り、何が手に入っても満足しないのだろう。どんな
優しい言葉を得ても満たされず、何件営業に行こうと、受注が増えようと、
収入が増えようと、世界一と言われる会社になろうと、原因に気付かない限
り私の禁断症状は欲求をして、永遠に欲求は満たされないように思う。

ということは私の場合「愛情の飢餓感」が原因ではないのか?それを満たす
ために強迫行為で心の安定を築き、我こそは我こそはと前に出て来たのでは
ないか。

大儀を掲げて目立つように動いて来たことになる。とすれば入社の頃から言
われていたこと。ただその力で得た物も大きい。しかし、今となっては「マ
ネー資本主義」の「リーマン破綻」のごとしだが、まだ遅くはない。愛欲亡
者の暴れ様の自粛。私という「腹ぺこアオムシ」は、絵本に穴を空けてまで
たっぷりと食べた。「今はサナギになれ」と言い聞かせるが、心の大掃除を
せねば、とっ散らかっている。上手い表現だと喜んでいる場合ではない。仕
分をけして、整理整頓が必要だ。