面白味の無いベタな事

失敗し、全体の場で指摘を受けている状態を観察すると、その殆どは、個人特有のものではなく、
その集団で、誰もが出来ていない内容である事が多い。これはある種の社会心理学になるのかも
しれない。

例えば、仕事で事前報告をする。語尾を大きく話す。一人で仕事を抱え込まない。無言にならな
いなど。指摘をされると、どうしても自分だけが駄目だと思ったり、皆同じ失敗をしているのに、
なぜ自分だけがと考えたりする。

しかし、これは当然であり、集団で見れば、多くのメンバーの出来ていない内容が、指摘の内容
となるのだから、皆同じ。だからこそ単純な自虐も妙であり、非常に一般的な失敗であるだけだ。

特異で個人的な内容では、責任者や、リーダーでもないのに、集団の場で指摘の対象になること
は少ない。仮に特異な内容を指摘されても、失敗ではなく、皆が笑顔で話している場合が多い。

関西弁では、ありきたり、一般的、平凡、面白味の無いという状態をベタという。仮に集団の中
で、売り上げを意識しろといっても、大多数の人間が意識出来ないとすれば、自分が意識出来な
くとも、自分だけが駄目なのではなく、ありきたりで、ベタで、面白味がなく、至って普通なだ
けだ。

指摘者がいう内容の裏には、一般的で、面白くないベタな失敗をするな、おまえはベタの代表取
締役か、大多数がするような格好の悪いベタな失敗は止めようぜよ。これが指摘の真理ではない
かと思う。

ありきたりな、一般小市民の、直球ど真ん中の失敗。面白味の無いベタな人間。ベタな組織。そ
んな事をやめて、非常識を目指す。なぜなら偉人は皆、非常識。変化は非常識によって生まれる。
スタッフにそう伝えたところ、今までにない動きを始めた。人間ベタだと言われるのは、本能的
に嫌なのかも知れない。80%より20%の人間になれば希少価値が生まれる。コツを知れば誰
にでも出来るはずだ。