百言は一験に如かず

百聞は一見に如かずという言葉があるが、リーダーには、百聞は一見に如かずではなく、百言は一験
に如かずを考えてみてはどうかと感じる。同じような意味だが、百聞は一見に如かずは、使い古され
ており、意味を掘り下げないで使い、相手も聞いてしまう。互いに意味は分かるが、出来ていないと
なる。

また指摘者が、相手に対し、百聞は一見に如かず。聞いてばかりではなくて、見てみなさいと言いう
が、行動は起こらない。

そこで、百言は一験に如かずだが、こちらは、指摘者やリーダーに対して、百言は一験にしかずを踏
まえて、相手との接し方を見直す意味で、思い浮かんだ言葉だ。

人に対し指摘をしたり、説明をしたり、言葉を使って伝えるよりも、一度の体験に勝るものはない。

口での説明ではなく、験させる。人に対しても、自分に対しても機会を与える。これが大切だ。しか
しチームにメンバーが増えたり、親になり子供が出来ると、心配なあまり、もしくはチームでの保身
のために、相手には体験をさせず、親や上司は口で説明をして、全てを理解させようとしてしまう。

しかし物事は、成功したり、失敗したり、恥をかいたりする事で身に付く。そこで得た体験が、次へ
のチャレンジ精神になる。それに、全てを言葉で学んでしまえば、分かった気になり、感動が無くな
ように思う。

ある程度の経験があれば、想像力も身に付く。特に自らの挑戦による失敗体験が、次の挑戦の際に、
第六感や、縁起の悪さや、危険の前兆をも感じさせる。

その蓄積で、これをすれば上手く行くといった感じで、人は験をかつぐ。そして験をかつげない時点
で、事前に危険を感じる事も出来る。ひとつのセンサー。防波堤のようなものとなる。

百言よりも一験。ゆえに、いくら言っても相手には分からない。でも言い続けねばならない。しかし、
体験は百言を越える。それが百言は一験に如かずだと考える。