指摘

スタッフに強く指摘することがある。その際、なぜ指摘をするのかを、己の心理状態や、他者の事例
などを交えて解析し、スタッフに説明する事がある。なぜなら、自分が指摘をしていても、試合で負
けたチームが、部室で揉めているような、格好の悪い違和感を感じる場合があるからだ。

指摘している状態には、指摘者が自分で解決をしないと決めている場合がある。指摘する内容を指摘
者が進んで解決し、部下に説明するという光景も意外と少ない。こうした状況を良くいえば、監督と
選手の関係なのだろうが、悪くいえば、互いに実行しようとせずに、怒りや、反発、無言で、甘えあ
う、傷の嘗めあい以上の状態ともいえる。

個人で失敗をすれば自分自身の責任。その内面の自責のあり方が上司、部下の関係として、現実に展
開される。

部下が失敗をした後に指摘をする状態は、それ以前に説明をしなかった自分の責任。それだと傷の嘗
めあいになるという意見もあるが、チームが負ければ傷を嘗めあう場面も出てくる。嘗めすぎればリ
ーダーが喝を入れればよい。故に指摘は単純な怒りでなはく、リーダーからの叱咤であればと思う。

得意先には激怒する担当もいるので、耐えられるように言っているのだという意見もあるが、得意先
が怒ってばかりならば、業者は仕事を受けなくなる。それと同じ事が社内で起これば、スタッフが去
る事となる。その現実を目前にしても、経営者ではないので求人は分からないと無意識で心が呟く。

組織としてみれば、代表取締役という大監督に選手が集まっている側面があり、先輩選手の元に、集
まっているとは言い難い状況がある。

部下への怒りなのか、叱咤なのか。上司たる者、失敗をした部下の数倍学習をし、挑む心を忘れず、
自分の元に彼らが集まっていると感じさせる状況を作り、そのチームを更に上司へと繋ぐ心がいるだ
ろう。常々そう自分自身に言い聞かせる。