犬も食わない話。

夫婦の話は犬も食わない。

それは重々承知とする。

妻が、上から目線で、
馬鹿にした、もの言いをするので、
ある程度たまると私も返す。

9月8日の土曜の朝、
妻から「12時から14時やって」と、
言われたので、私は「僕にいつも、
『主語がない!』っていうけど、
主語はソファーの搬入かな?」と聞いたら、
「想像すりゃわかるやろ!」とあり、
私は「自分中心の、ガラの悪い、
もの言いよりも、丁寧に話そうよ」と、
伝えたところ、
「それやったら、そんな話し方出来る人を、
探しいや!」と、そう言われて、
今回も「気にいらないなら出ていけ」と、
言われる結果となった。

なぜなら、私のマンションを売り、
妻のマンションに、
昨年の2017の7月に越して来たから、
ここは妻のマンションだからだ。

そこで私は「出ていけというのなら、
離婚届けを今から取りに行けばいいのか?」
という。

続けて私のパターンは同じで、
「私は一緒に居たいし、愛している」
そして妻に、
「一緒にいたいのか?愛しているのか?」
と聞くが、答えは無い。

私も妻も、2人で、掃除も、洗濯、料理も、
洗い物も、一緒にし、トイレも洗い、
ゴミ捨てもする。

そんな協力体制の普段ながら、
揉めると最後は、お金の話になる。

今でも充分暮らせるのだが、
妻は「もっと稼いでこい」と言う。

出会って2年半。

私は、一緒に居たくて、
愛があっての夫婦であると思う。

それをなくして、
私は、お金を稼ぐ機械ではないし、
欲しいのならば、自分自身で稼ぐこと。

そう思う。

次回、揉めたら、そう伝えようと思う。

苦労をかけているのは、私なので、
妻が、一緒に居たくなくて、
愛がないならば、やむをえない。

出て行けといわれるが、出て行く先もなく、
妻に「出て行った前提で、寝室にいるね」と、
伝えて、こもっていたら、
土曜に、ふたりで妻の実家に行く予定が、
黙って、おいて行かれてしまった。

世の中、人間とて、自然の一部だ。

先日の地震にも、台風にも怒りはあるが、
心底の怒りは無い。

それは、自然現象だからだ。

妻に対しても、私は同様で、
人も自然の一部と見ているがゆえで、
その私の捉え方が、
妻を苦しめているのかもしれない。

けれど実際、人間など、
心臓も自分で止められず、
8割がたを、自分で動かせない。

私も妻も、全ての生き物も、自然の一部だ。

私の思いは何百回も伝えたし、
『自分が自分だ』と思っている人には、
人間が、自然の一部で、自分が自分だと思う、
存在の認識など怪しいというのが、
事実であっても、理解されないのだろう。

妻に「そんなんやったら、
みんなに嫌われるで!」と言われる。

だとしても、人は自然の一部だし、
みんなに好かれるために、
生きているのでもないし、
仮に嫌われるとしても、
世の中の、全ての意見でも無いだろう。

相手がいるから、自分は自分たりえて、
相手がいなければ、自分は自分たりえない。

ひとりで、どう自分を認識するのか。

ひとりならば、名前どころか、
言葉も文字も、遠い過去も無くなるだろう。

私は、この命を、望む人のために使いたい。

妻、弟、父、母、事故や、病から、
助かろうとする人など、その覚悟はある。

ためらいはない。

みんな全て、自己陶酔。

私は今、不正なく、
生きようとする人に命を使い、
この世から去っても、
その人の心の中で生きたい。

こんなに豊かで平和な日本に、
何の不満があろうというのか。

さて、これを140字にする。

私の余命、あと4ヶ月。

そう考えて進む。

抱く夢なのだから、
どんな夢でもいいじゃないか。

とりあえず4ヶ月。

そこからまた、考える。

生きるために、
お金がいるのも分かる。

しかし、
お金よりも大切なのは、
共に居たいのか、
愛があるのか。

人は、お金を生み出すための、
機械じゃない。

更に140字にする。

自分自身が、
幸せだと感じる、
時間を過ごせばいい。

人をどうするかで、
幸せを感じられるのならば、
それも良いし、
相手が嫌がるならば、
離れるのもいい。

身を削り、
人を幸せにする方法もあるが、
それで自身が、
幸せを感じられないなら、
自分自身で幸せを感じる時間を、
過ごすのがいい。

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