指摘する者される者

最近、社内で報告がキチンと出来ないスタッフの指摘になることが多い。各部署があり、
それぞれのリーダーが居るのだが、部署のリーダーや、部署のスケジュール管理官が、
キチンと遅延報告を上司にしないことから、このような指摘になるというのが、大方
の認識だ。

ところが、実際に部署のリーダーにせよ、部署のスケジュール管理官にせよ、そのスタ
ッフから、実際に指摘をしている人間の間に数名の先輩が存在する。

その先輩諸氏が、指摘されているスタッフに変わり、自分がなんとかしようと動き、そ
の姿を見せて、変わりに指摘を受けてでも任務を遂行しようとするのが本道であるよう
に思う。また、話しが変わり実際に指摘されていたスタッフの先輩に話しが行けば、そ
の先輩は無言になって俯くことが多い。

そうなるのであれば、初めから少しでも後輩を助けようとしなさい。そうならないよう
に、上司や先輩を助けようとしなさい。これが正直な感覚だ。

これが上下関係であるし、チームがある以上、上下関係は明確である方がいい。上下関
係があることで、身近な関係や責任なども出来るし、向上心や、誰かを護る思いや、人
のために頑張る力るなども生まれ、個人で動く以上の効果が出る。

この構図を作らなければ、大きくチームを括って、指摘する側と、指摘される側が生ま
れ、その間で一般社員が眺めているというような構図が出来る。これは一般社員のチー
ムに対する思いを育む流れとは逆方向であろうから、あまりよろしくないように思う。

指摘する側が、個人の成長を重視し、手塩に掛けて、目を付けたスタッフを育てたいの
であれば、受け皿を越えての個人責めも良いのだろうが、そうした思いも無い人間が真
似をして、受けられないスタッフの個人責めをすれば、指摘者の自己満足になるか、言
いやすいから言っているだけとなるだろう。ましてや感情的に言っているならば、何の
効果もないし、感情的な怒りは個人の責任であるから、「相手と過去は変えられないが、
自分と未来は変えられる。」ということをよくよく噛みしめる必要がある。

指摘する側が、相手を指摘したとしても、相手が対応出来なくなった時点で、その上の
先輩となるスタッフに、キチンと指導をせよと指摘し、それでも対応せ出来ぬならば、
その上の者に指摘する。今まで指摘されていたスタッフを、眺めていただけのスタッフ
は、進んで部下のカバーに入るか、一時的にその中の誰よりも強く指摘をして、部下を
護ることも出来る。勿論自分自身が酷く怒られる場合もあるが、それで部下が護られる
ならば、本望だと思う気概は持ちたい。これを部署を跨いででも行なうことで、セクシ
ョナリズムを無くすことにも繋がり、各スタッフの自覚も育まれるように思う。