出来ると思うこと

私が入社したころに、どうやったら出来るよう
になりますか?と代表に聞いたところ、出来る
出来ると頭の中で繰り返すことだと教えて貰っ
た。

そんな事で出来るようになるのですか?と聞い
たところ、勿論だ。では、おまえはやっている
のか?と聞かれ、やっていませんと答えたとこ
ろ、だから出来ない。理由はそれだけだと言わ
れた。

実践してみると、出来るようになった。出来な
いものもあるが、それは、出来ないと思うから
で、出来ると考えれば出来るようになるという
ことを体感して学んだ。

それから十数年。スタッフ何人もに同じ内容を
伝えてきたが、ここにきて、ふと、何百回目に
なるのか分からないが出来る出来ると唱えるよ
うにしてみれば?とスタッフNに伝えた。

するとスタッフ自身、随分調子が良くなった。
同じ話しを何度もしたのに伝えるタイミング
が大事なのだなとふたりで笑うほどだ。

精神の流れが良くなれば、緊張しないので動き
も良くなる。

駄目だと感じれば駄目になり、嫌だと感じれば
嫌になる。

出来ると何度も唱えていると、発注に繋がった。
こんな事があった。と報告をしてくれる。スタ
ッフが笑顔で話すので、私も笑顔で聞くものの、
実は、いつもと同じなのにと思う部分も多い。

先日私の方で、会社として重要だと思われる要
素として、1)売り上げ、2)営業、3)制作や
画質向上、4)求人・教育・設備などの配備と
伝えた。その後Yも同じように、出来る出来る
と唱えたところ、必要だと思われる要素に対す
る案が、すらすらと出てきたので、まとめてみ
ましたと報告があった。

出来ると思えば、すらすら出てきた内容を出来
たと感じるし、出来ないと思えば、すらすら出
てきた同じ内容も、こんなことしか出てこない
と感じる。Yは前者なのだろう。

そうしたことを通じて出来ると考えれば得だと
いう結論にふたりは至ったとのことだったが、
実のところ得は出来るも出来ないもなく、出来
ると思うから出来たと感じ、出来たと感じたか
ら得を感じられるものだと思う。

得だからするのではなく、出来たと思えたこと
によって得を感じられる。

なぜなら周りが見て出来ていないといわれるも
のでも、本人が出来たと思ったことによって、
出来たこととなるし、周りが損だと感じるもの
を手にしても得をしたと感じられる。

そもそも得も損も主観であって存在せず、出来
るも出来ないも現世では同じものだ。

ただ絶対にいえることは、出来ると思わなけれ
ば、出来たことには繋がらないし、そこから考
えれば出来ると考えるしか、自ら明るいと感じ
られる未来は無いということだろう。