8月27日(木)診察分

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ここ数週間、オフィスの現状回復工事の高額請求がどうなるかのやりとりが続き、
いい加減気にならなくなった頃、24日(月)に敷金内で納まることとなり解決。
後は明日の引っ越しのみとなった。

数週間前は以下のように思い作っていたものの、今はそうでもないが、折角作ったので残した。

「気にしだすと気になる。本社に居たころはそんなこともなかったが、
支店を任されるようになって責任が重いと感じたからなのだろう。
やはり『認められたい』という気持ちだけでやっていたようで、八方美人になり、八方塞がりになる。
『なんでこんなことになってしまったのだろうか』と思えるが、気にしてもしようがない。
『流れる心』というのはなかなか難しいが、
『傷口をいつまでも見ていてもしようがないということですかね』
と先生に伺ったところ『その通り』と言われていたので、まさにその通りなのだろう」

丁度この頃にネットの医師相談で「カウンセリング」を勧められ、
他で話してみると「新鮮な気持ちにもなるかも」と思い、
12(水)に、カウンセリングという表記のある病院に行ってみたところ、
「双極性ではないか」との話になった。
「良いときと悪いときの差があるので、今の主治医の先生に診て頂きながら、
『少々気分がいい』ぐらいでとどめておければ是」との話があった。
「絵を描く気はないですか?」と聞かれたが、絵を描く気はなく、
食事を昼に大量に食べて朝夜は食パンと伝えたら、
「料理を少しでも作ってみるのもいい」との話にもなったが、作る気もなく、
何か少しだけでも、クリエイティブなことが出来ればいいということなのだろう。
「あまり先のことを考えすぎないこと」ともあったので、
目先の喜びを見つけて、ひとりの時間を楽しめたらいいのだろうと思うが、
なかなかそんな気分にはなれない。
ただ絶命するわけでもないのだし「不運を嘆くな出たサイの目を楽しめ」でいようと思った。

無意識だが、やはり何でもかんでも「認められたい」とか「優越したい」とか、
そうした気持ちでやっていたようなので、本来の自分のやりたいことが、見あたらない。
ゆえに、趣味などが思い浮かばないのだから、
「なぜこんなに生きるのが辛いのか・・・」となるのも当然だ。
しかし数ヶ月前から比べると随分良くなったのだし、いまは予期不安的なものだろう。
「気にしない、気にしない」という心でいようと思う。

これが熟年だったら本当に辛かったろうと思う。生きるチカラがなかったかもしれない。
その意味では今のうちに脱出法を身につけておけば将来のために役立つのだろう。

以前はネットの医師相談で、ジブレキサザイディス5mgを紹介してもらったが、
先日は、ドグマチール150mgも紹介してもらった。
そこでも、またエビリファイの紹介もあったが、エビリファイは以前も紹介して貰い、
先生も「エビリファイは、良い印象がないんですよ」といわれていたし、
私も同感だ。それに薬は減らしたいのだから、どんな薬かだけ分かればいいと思った。