日報 52.「7月10日(金)診察分」

イメージ 1

一週間の就寝前服用は以下。
パキシル20mg×7と10mg×7。ロヒプノール1mg×7。
テグレトール200mg×7。ルーラン4mg×7。
フェノバール30mgを2つ×7。残っているのは、使わなかった、
セルシン5mg×3。テグレトール 200mgの半分×1となる。

引っ越しで電話番号が変わることもあり、営業に行く気が下がっていたが、
スタッフ2名を外に出し、電話番をしていると、あっという間に時間が過ぎ
る。ただ、受けた電話の結果がどうなったか心配でになり、誰か戻って電話
番を交代してくれと思う気になる。情報が入るとすぐに焦る。ゆえに何も情
報が入らないところで静かにしていたくなる。ただ仕事はせねばならないの
で、遊ぶ部分が多くとも、出来ることから順に慣らしいくつもりだ。

移転先は窓が大きく、はめ殺し窓の外に出られないバルコニー的なものがあ
り、またはめ殺し窓がグルリとある。廊下は内廊下のカーペット敷き。どこ
からも外気に触れず、オフィスとしてはいいが、居住となると、セレブな牢
獄の様で、気がおかしくならないかと少々思う。

前回先生と100平米30坪との話や、ガソリンスタンド横の訳ありの土地
の話になったが、普通に話している風にしていたが、話が頭に入らず「妻に
話を聞いていないといわれる状態だ」と感じた。そうなると妻に「今なんて
いったか答えてみ?」と質問され自責にかられる過去が蘇る。話したい内容
がある場合が原因なのかも知れない。

自分自身、元々人見知りでコミュニケーションが苦手なのを、無理に克服し
てきた面があり、今も苦手意識がある。また、さとされるのは更に苦手だ。
そう考えだすと、高校入学直後の学校研修旅行で打ち解けられず、皆が部屋
のあちこちをワイワイ走って遊ぶなか、ひとり座っていたことを思い出す。
幼少の頃、母に習字に行かされたり、鼻炎が治るなどで水泳を習わされたり
幼稚園も私立で、近所の友達と話が合わなかったなども思い出す。

母にすれば子供のことを考えていたのだろうが、少なくとも当時の私は、分
かりやすい愛情を欲していたのだろうと思う。

先生の話にあった「アカシジア」も調べた。日本名:静座不能症とあったが
3月、4月の地獄のような症状は、とてつもなく苦しく「アカシジア」の感
じではないかと思った。セルシンを頂くまでは本当に大変だった。そう考え
ると薬はイヤなので、早く無くしたい。しかし酷い気分が薬で治まった面も
ある。ただ薬でヤル気がない面もあるとも思う。「何かをしろ」と言われて
も、全くヤル気がない。落ち着いて、以前と比較すれば良くなったと感じる
が、スタッフの前では全くヤル気がないと笑顔で毒づく。先生には、そんな
こと言っちゃ駄目といわれるかもだが、我慢しているのも疲れる。

本社の頃は「社長になる!」と目指していたが、劣等感から認められたいと
背伸びをしていたのか、劣等感からの目標が無くなったのか、プレッシャー
からなのか、心に穴が開いた状態となった。