0.「平和な社会」

ふと頭ので整理が必要だと思った点に「平和な社会」とは何かと聞かれた場
合が思い浮かんだ。

「平和な社会」とは「争いがない社会」と多くの人が答えてしまうような気
がしたが、ここで誤解を恐れずいうならば「争いがない」ことが「平和な社
会」だとは単純にいいきれない点があるという点だ。間違っても、ある程度
戦争があった方が「平和な社会」だといいたいわけでも毛頭ない。

真の意味での「平和な社会」は、その社会を構成する人すべてが、平和だと
感じるときに初めて「平和な社会」たり得るように思う。

ゆえに、ある人が「人類みな仲の良いことが平和な社会。」と感じると思っ
た場合には、その人にとっては「平和な社会」といえるが、「いやいや、あ
る程度の争いもありつつ競い合う、強めにいうなら、ある程度の争いがあっ
てこそ平和な社会だ。」と思う人がいれば、その人にとっては「ある程度の
争い」があってこそ「平和な社会」となるのだろう。まさしく十人十色、百
人百様である。

この、人それぞれに感じることや、受け取る気持ちが異なるという点が重要
で、しかるに「平和な社会」とは、その社会を構成する人すべてが、平和だ
と感じるときに初めて「平和な社会」たり得ると思った次第である。決して
争いの「ある」「なし」では、「平和な社会」の基準にはならないのだろう
と思うのだ。

また自然界に「平和な社会」という定義もなく、皆あるがままに生きている
だけである。結局、それぞれの人の心のなかに、それぞれの感覚において異
なった「平和な社会」のカタチが存在するので、難儀な点が大いにあるとい
えると思うのだが、いかがだろうか。