出来ることから始める

このままでは上手く行かないのではないか、時間に遅れそうだけど、連絡を入れると怒られるのでは
ないか、これらはどんな想像をしようとも、結局自身が越えなければならない出来事となるはず。以
前私自身にも多くあったが、スタッフは常々こうした心の問題と直面している。

今動いてみて、問題が無ければ良し。問題があっても早く知って対応出来れば、後よりも助かること
が大半だ。足がすくむなどの恐怖は常に自身の記憶の中にあり、恐怖は常に過去からやってくるもの。
先送りせずに、いつもより少しでも前に進めることが出来れば、周りはどうあれ、自分の中では克服
出来ていくものに違いない。

事前に問題ではないかと感じる心、これこそ真実と感じても目を背けたくなる。そうした真実を恐れ
る心は学習を妨げる。気になることがあるならば、しっかりと目を見開き、少しだけでも、笑われる
ほどでも、前に出られればいいはずだ。そして、どんなに変でも、真、善、美、愛を忘れることなが
なければ、広い心、勇気、思いやり、そして寛大さも生まれる。そして美徳と高潔さも生まれる。こ
れらを忘れる事が無ければ、笑われるほど微々たることでも、貶されるほど馬鹿げた行為でも、汚れ
た道には進まない。

目の前にある扉を、周りの人から言われて結局開けるなら、恐る恐るではなく、初めから、みんなの
前で勢いよく開ける。そこでセクシーな頭脳を使い、非常識なハイパーロジックを使い、みんなの胸
が高鳴り、みんなの頭脳をわくわくさせる、論理的ではない、非効率かも知れない方法で、通常一、
ニ、三と進むところを、機が熟していなくても実行するような、一、三、ニと進め、論理的には手に
出来ないものを、自分にも、みんなにも提供出来れば、全てが笑顔になるに違いない。

予期出来ないことの提供こそが、冒険の提供。一人では行けなかった店に行くのは、お化け屋敷より
ドキドキすることであろうし、周りからの指摘の中や、恐怖の扉を開けて進むのは、ジェットコース
ターや、10M高飛び込みよりも、恐怖かも知れない。でも死ぬまで、それが試されるのであれば、こ
んな冒険は他にはにはないと考えて、楽しむ心を育てれば、きっと幸せに生きられるはず。

波に呑まれて苦しむ人生ではなく、誰しもがサーフボードに乗ってサーフィンを楽しんでいいはずだ。
最初は上手くいかなくても、練習すれば上手くなる。そう信じて挑むのは楽しいことだ。

大波でサーフィンを楽しむ非常識な人は、優しい人、笑顔の人、指摘する人、怒っている人、この全
ての人からアイデアを集められる人で、すなわち心の広い人だろう。みんなの為にも、人前で格好悪
いことは出来ないと、不細工ながらにも心から対応し、仲間を助け、失敗を恐れず挑む人。これが、
すなわち勇気のある人だろう。完璧には、その先があるので決して最後まで到達出来ない。しかしそ
れを分かっていても、相手の言うことを理解しようとする人。これが、思いやりのある人だろう。求
められていないのに与える人。それが、寛大な人だ。

失敗してはいけないと、耳にするものの、波乗りを上手くするための話なので、失敗したから、失敗
するから、ボードを手放して、波の下で溺れなければならないという決まりはない。本当に駄目な人
とは、サーフィンが出来ない人でも、本を読んでも理解出来ない人でもなく、また文字が読めない人
でもなく、本を読めるのに読もうとしない人であり、何かは出来るのに、何もやろうとしない人だ。

人生荒波、泣こうが喚こうが、海から出ることも出来ず、陸サーファーにもなれない。波は乗らなき
ゃ呑み込まれる。越えられなければ、越えられない。これは変えられない事実。そうであるなら、ど
んな小さな事でも、出来ることからでも始めなければ、何も始まらない。