生きることと死ぬこと

なぜ人はこの世に生まれて来たのか、
そしてなぜ死ぬのか。

きれい事では無く、納得の行く答えを探してきたが、
ろくな答えが返ってこなかった。

そんなわけで、自分で見つけたこたえは、
まず、生まれて来た事に意味は無い。

なぜなら、意味は後から出来るものだからだ。

それでも理由をという方には、
DNAが経験を蓄える為。

さらには、彼ら細胞というかDNAというのか、
この複数の存在をまとめて、自由に動かせる存在として作られた存在が、
人間の意識といわれるものだ。

なので、死んでも、あの世などは無い。
高性能なコンピューターにすぎない。
自分が生きているのではなく、彼らが生きているのだ。

自分の意識がなくなろうとも、彼らは生きる。
しかし、彼らが死ねば、自分は生きられない。

ではなぜ死ぬのか?

テストをする場合に、時間を設定する。
効率よく動く為に時間を区切る。

死というのは、細胞が考え出した、
素晴らしい考え方だ。

単細胞などは、分裂し、永遠に死なないという。
しかしそれでは、複雑な環境に対応出来ない。
不要な者は死に、必要な者が残る。

そして、死なないように頑張る。

これが死の理由だ。

その後の世界があると考える思想もあるが、
かといって投げやりにはならないし、
実際に投げやりになった人間はキチンと弱として扱われる。

良くできてるなぁと思う。

誰が考えたのだろう?

要するにはそれが自然なのだろう。

では死後の世界は無いのか?

あるとも言えるし、無いとも言える。

なぜなら、我々は生きてるのではなく、
細胞らが生きているので、

そもそも、生まれていないし、死ぬことも無い。

良くしゃべるコンピューターなわけだ。
なので、私はコンピューターにも感情はあると思う。

人間は何でも分けたがるが、
人種も国も、なにもかも、合コンみたいに交互に並べれば、
言ってられなくなるなぁなんて思ったりもする。

なんのこっちゃ・・・。まとまってないなぁ(笑)